ミニ小説【男泣きから鉱山王へ】 ベンチャーキャピタル投資:明治スタイル

シブサワ・アンド・カンパニー渋澤健が綴る「オルタナティブ投資」の世界。「オルタナティブ投資」が目指す絶対的収益の根源とは?(現在は更新しておりません)

ミニ小説【男泣きから鉱山王へ】 ベンチャーキャピタル投資:明治スタイル

第一章

 明治は、華麗な成功例と悲惨な失敗例が混合され、日本に大きくイノベーションが発生した時代であった。この時代に渋沢栄一という実業家がいた。

 明治六年に日本初の民間銀行である第一国立銀行(現みずほ銀行)の創立をはじめ、日本勧業銀行(現みずほ銀行)、日本興業銀行(現みずほ銀行)、東京蓄積銀行(旧協和銀行、現りそな銀行)、王子製紙、大阪紡績会社(現東洋紡)、石川島播磨工業、京阪電気鉄道会社、東京海上保険、日本郵船、東京ガス、東京電力、帝国ホテル、帝国劇場、サッポロビール、中外物価新報(現日経新聞社)などを含む五百社の企業の設立に関与と後世に伝われる人物であった。

 個別企業だけではなく、東京商工会議所の前身や東京証券取引所の設立にも関わり、一橋大学、東京女学館、日本女子大学、東京養育院、聖路加国際病院、日本赤十字社という非営利団体との関わりは六百と云われている。まさに日本の近代化における元祖ベンチャーキャピタリストであろう。

 もちろん、関与した数多くの事業の中には、資料にしか残らないものもある。例えば、青木漁猟組。北海道でオットセイなどの海獣猟をおこなう会社であった。9年間ほど増資を続けたが、明治三十六年には解散した見事な失敗例である。

 後もう一歩で大失敗に終わってしまったベンチャー投資の案件の例もある。日本の最初の銀行、第一国立銀行である。

 第一国立銀行の筆頭株主は、三井組と小野組という豪商であった。ところが小野家は急速な事業拡大と巨大化を図っており、借入金も膨大化していた。第一国立銀行にとって小野組は、130万円ほどの融資を行っていた大口取引先でもあった。

 そこに明治政府が経営不安を払拭するために、一方的に担保額の引き上げと担保提出強化の方針を打ち出すと、小野組はたちまち資金回りが悪化し、明治7年末に倒産してしまう。

 栄一は、頭を抱えた。1年ほど前に創立されたばかりの第一国立銀行も小野組に対する担保が充分ではなかったので、これでは連鎖倒産してしまう。-----
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