金融テーマ解説

チーフ・アナリスト 大槻奈那が、毎回、旬な金融市場のトピックについて解説します。市場の流れをいち早く把握し、味方につけたいあなたに、金融の「今」をお伝えします。

大槻 奈那 プロフィール

「マイナス金利」の実体経済へのプラス影響はごく限定的。但し、緩和余地の拡大で常に利下げ期待が漂う市場に

演出効果大。金融緩和の限界説を乗り越えた、金融政策版「3本の矢」だが...

1月29日、日銀が欧州諸国に次ぐ「マイナス金利」国に名を連ねることになった。日本では未曾有のことである。株価と為替はポジティブに反応した。サプライズの演出が特に2つの点で絶妙だったためだ。第一にタイミング。12月の補完措置で住宅ローンを担保に加え、銀行が国債不足に陥った時の備えが拡充されたことから、一部で利下げへの思惑は呼んだものの、ここまで早いタイミングになるとは市場は予想できなかった。

第二に、金融緩和の自由度を大幅に拡大させた点。これで政策手段には、「量」、「質」に「金利」が加わり、いわば金融政策の「三本の矢」が整った。これまでは、毎回緩和期待が論じられるたびに、買い入れることができる国債の市中残高が減少しているとして量的緩和の限界説がくすぶっていた。日銀当座預金金利の引き下げも、金融システムへの悪影響から難しいとされていたし、これをゼロにしたらもう本当に次の手段がないのでは、と危惧されていた。

しかし今回「ゼロ」すら突き抜けたことで、金利は技術的にはどこまでも下げられるし、マイナス幅を相当拡大しても、今回設けられた「マクロ加算残高」という、金利をゼロに留める部分の割合も日銀が決められるので、銀行経営への影響はある程度コントロールできる(下図参照)。

政策金利の下限は? 銀行収益と為替レートの動向に注目

それでも、実際の政策金利には節目があるだろう。実際、下限は何パーセント程度なのか。日銀は、マイナス金利の問題点として、「マイナス金利による金融機関収益の圧迫があまりに大きいと、金融仲介機能を弱める懸念がある」と述べている。従って、マイナス金利の限界点を探るには、銀行の収益がどこまで耐えうるかが焦点となる。

銀行収益に直接的に影響を及ぼす金利は、政策金利ではなく貸出金利の過半が連動しているTiborレートと短期プライムレートである。このうちTiborについては、日銀の発表後の2月1日月曜日(毎日午前11時にフィックスされる)時点で、前日の0.171%から0.145%に低下した(図1)。一方、短期プライムレートは、2009年1月から今日まで1.475%程度に据え置かれている。ちなみに最低は2006年まで適用された1.375%である。

これらの高めの基準金利のおかげで、銀行の平均貸出金利はまだ1.1%程度残っている。ところが、ここから調達コストや経費を差し引いた「総資金利ざや」は、15年3月末時点で0.17%しかなく、依然低下傾向にある(全国銀行の中央値、図2)。これがゼロ以下になるような金利は考えにくいだろう。これまでの政策金利の貸出基準金利への影響度から推定すると、現在のマイナス0.1%から更に0.3%程度を超えて政策金利のマイナス幅を拡大することは難しいと思われる。

政策金利決定上のもう一つの制約要因は、為替水準であろう。今後は、これまで以上に主要国各国の金利動向や、日銀及び政府当局から為替レートに対するコメントが注目される。

実体経済に対する効果はごく限定的

アナウンス効果は絶大だった今回の利下げだが、実体経済への影響については、限定的といわざるを得ない。金融緩和の実体経済への波及ルートは主に、①銀行貸出等の拡大により、市中のマネーを増やす、②市場のインフレ期待を高め、消費やリスク資産へのマネーの移動を促す、という二つである。それぞれについて、期待される効果を考えてみたい。

実体経済への効果その①: 銀行の貸出増加ペースはこれまで通り。ゼロではないが緩やか

まず、マイナス金利が他国でどの程度貸出が拡大したかを見てみよう。マイナス金利をすでに導入しているECBやスウェーデン、デンマーク、スイスでは、それぞれマイナス金利導入時点から直近15年12月末までの貸出成長率はわずか1%前後にすぎず、増加トレンドは維持しているものの、増加ペースの加速はみられなかった(図3、図4)。金利がマイナスということは、デフレか低成長である可能性が高いため、貸出需要も低いためだ。

恐らく日本では、長く続いた低成長からの巻き戻しもあり、これらの他国よりは高い貸出成長が維持できるだろう。それでも、企業の借入金利が世界的にも極めて低い現状であり(図5)、これに対して貸出に対する預金コストや人件費や店舗費用などの固定費はマイナスにはできない。邦銀にとって、貸出金利の引き下げは他国以上に難しく、金利低下による企業の借入需要の拡大という効果は限定的と思われる。これらの両面から考えると、利下げ効果による貸出の拡大幅は、これまでのペースと同様で、13兆円程度、+3%程度と考えられよう(図6)。

なお、事業法人の収益に対するメリットも、多少は存在するが、他国に比べて企業の債務比率が圧倒的に低いことから(図7)、金利低下のメリットは浸透しにくいと思われる。

以上の要因から、金利がマイナス圏に突入したからといって、貸出増加が加速するわけではなく、かつ、企業セクターの受けるコスト削減メリットも全体としては低い。

マイナス金利効果その②:インフレ期待に働きかけリスクマネーへのシフトを促すルートは政策対応に期待

期待への働きかけは、サプライズ演出で円安に誘導したことでひとまず成功した。次の課題は、物価上昇期待が高まり、株式などのリスクマネーへの投資や消費が活発化するかどうかである。

目下個人支出は芳しくない。日銀のマイナス金利発表と同日に発表された12月の家計支出も、前年比マイナス4.4%と、前回のマイナス2.9%からマイナス幅が拡大してしまった。マイナス金利導入でこのような個人消費の低迷を打破できるだろうか。

邦銀にとって、預金は必ずしもこれ以上増やしたくはない。しかし、お客様は決して失いたくない。そのような中、社会的批判等を考えると、個人預金にマイナス金利を適用したり、口座手数料を取ることは、当面考えられないだろう。他のマイナス金利の国々の金融機関も、少なくとも通常の個人預金については、口座管理手数料引き上げやマイナスの預金金利を適用した事例は殆どみられない。

このため、個人がマイナス金利の「痛み」を直接意識し、投資マネーへのシフトの起爆剤となるというシナリオは考えにくい。個人消費や投資行動により大きな影響を及ぼすのは、むしろ、給与のベースアップなどだと思われるが、足元の企業業績やトヨタ労働組合のベースアップ要求額などの報道を見る限り、上昇率は昨年よりも低くなりそうである。唯一の期待は、政府から企業に対する賃上げ要請であろう。

銀行はひとまず債券を売るインセンティブあり。リスクマネーにシフトするのか?

では、巨額の250兆円もの日銀当座預金を持つ金融機関は、今後リスクマネーにシフトするのか。金融機関は昨年1年間で75兆円ものお金を新たに日銀当座預金に預けた(図8)。個人や企業からの預金の増加と、国債等の売却資金が滞留してきた結果だ。

国債の売却については、利下げ効果で、今売れば利益が出るものの、売ったお金の行先が、これまでとは異なり「マイナス金利」の当座預金に振り替わることになるので悩ましい選択となる。ひとまずあと2か月弱は、期末要因から債券売却で益出しするインセンティブが高いだろう。このため短期的には国債売却による余剰資金が増加するとみられ、これらを日銀当座預金以外の何か別のものに使わなければならない。

とはいえ数十兆円単位で投資できるマーケットはそう多くはないし、前述の通り貸出は簡単には増えない。となると、投資先として有力なのは、短期的には、外国債券、超長期国債への再投資、次いで株式等となるだろう。

ところが、銀行の保有資産に対しては、現在、金利リスクの規制や国債の信用力への見方の厳格化の是非などが国際規制当局で議論されており、中長期的には安易に長期国債を拡大するわけにはいかない。銀行の運用手法は、特に金利物を中心に"がんじがらめ"になりつつあることを考えると、価格変動リスクは高くとも、これまでよりは多くの資金が株式等に振り向けられる可能性があるだろう。

今後の注目点:政府側の政策コメントに注目

このように実体経済に対するプラス効果は限定的でも、当面は、政策会合のたびにアナウンスメント効果の期待感が高まりそうだ。特に、今後の利下げの制約要因である為替レートに関連し、海外の金利動向、日銀や政府関係者のスタンスが注目される。また、日銀がアクションを取ったことに対して、政府が賃金等についてどのような施策を打ち出すかが注目される。これらの観点からノンバンクセクター(調達コスト低下)、輸出関連セクター(円安)、住宅関連(賃上げ)などに注目したい。

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