チーフ・ストラテジスト 広木 隆が、投資戦略の考え方となる礎をご紹介していきます。
広木 隆 プロフィール Twitter(@TakashiHiroki)
【新潮流】第187回 スターリン暴落
◆「バルトのシュテッティンからアドリアのトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。」 英国のウィンストン・チャーチル がトルーマン大統領に招かれて訪米し、ウエストミンスター大学の講演でそう述べたのは、1946年3月5日のことだった。この時から東西冷戦の象徴である 「鉄のカーテン」という言葉が頻繁に使われるようになった。それからちょうど7年後の1953年3月5日、東側体制のトップに君臨していたソ連共産党書記 長スターリンが世を去った。それを受けた日経平均は10%の急落となった。世に言う「スターリン暴落」である。
◆1日で10%の下げというのは日経平均60余年の歴史で第4位の下落率。第1位は1987年10月20日、ブラックマンデーである。1日で15%近く下げた。第2位のリーマンショックも、第3位の東日本大震災も、これには及ばない。
◆日経平均の下落率ランキングを見ると、歴史的な暴落の原因は、東日本大震災を除いてすべてが外的ショックによるものであるということに気付く。し かし、スターリン暴落は、同じ海外発のイベントがきっかけであっても他と少し異なるところがある。ブラックマンデーもリーマンショックも、海外市場の暴落 を受けた翌日、東京市場が連れ安して大幅安となったのに対して、スターリン暴落は「スターリン危篤・死亡」の報に接した東京発の暴落、いや東京市場のみの 暴落であったことだ。事実、米国株式市場はまったく無風であった。当時の日本株相場は朝鮮特需に沸いていた。スターリンの死によって朝鮮戦争の終結が早ま る、すなわち特需景気も終わるとの見方から主力株や軍需株に売りが殺到したのである。
◆スターリン暴落の翌日は、定石通り、大幅反発となったものの、これが当時のバブル的な日本株ブームに終止符を打つきっかけとなった。夏に朝鮮戦争が終わり、相場は秋に戻りを試したものの戻し切れず、そこから約2年、調整に入ることとなる。
◆今月は先月に続いて「2日新甫(2日からその月の営業日が始まること)」だ。2月3月が「2日新甫」となるのはスターリン暴落の年と同じである。 現在の相場はバブルにはほど遠いが、今のうちからいつか来るであろう相場変調の兆しを嗅ぎ取る感覚を研ぎ澄ましておこう。とても<独眼竜>には敵わないと は知りながら、少しでも近づけるように努力と鍛錬を重ねたい。
桐一葉 落ちて天下の秋を知る
<独眼竜>のペンネームで知られた石井久・立花証券元社長がスターリン暴落を予言した際の名文句である。
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆