【新潮流2.0】 第1回 笛吹けど
◆先日、東京の宝塚劇場で星組の公演を観た。断っておくが僕が宝塚ファンなのではなく、家族の付き添いで出掛けたのだ。出し物は有名なオペレッタを下敷きにしたミュージカル『こうもり』と、『THE ENTERTAINER!』と題したショーであった。宝塚は「一度観るとはまる」と言われるが、確かに素晴らしい舞台だった。特に、『THE ENTERTAINER!』で魅せた星組トップ、北翔海莉(ほくしょうかいり)の多芸多才ぶりに感嘆した。早着替えで何役もこなし、タップダンスやピアノの弾き語りも披露、唄って踊って縦横に舞台を駆け抜けた。その名の通り、珠玉のエンターテイメント・ショーであった。
◆宝塚と言えば、トップスターの存在が欠かせない。組の顔すなわち看板役者であり、そしてリーダーでもある。主役を張るばかりでなく、組全体、舞台の出来映えすべてに責任を持つ。演出を担う作家が北翔海莉のパフォーマンスに納得すると同時に、北翔自身も星組トップとしてチーム全体の出来に満足しているだろう。こういうケースを「笛吹いて踊る」 - 意図した通りに相手が動く - というのであろう。
◆もちろん「笛吹いて踊る」なんて言葉はなく原典は「笛吹けど踊らず」。その際たるものは我が国の金融行政だろう。「貯蓄から投資へ」と旗を振ってもまったく成果がない。NISA口座は増えているが取引自体は閑散である。先週、東証1部の売買代金は7日連続で2兆円割れとなった。日銀の金融政策も「笛吹けど踊らず」を地で行く結果となっている。マイナス金利で金融機関の貸出増加をもくろんだものの、貸出はまったく伸びずむしろ預金が急増した。皮肉にもマイナス金利が「貯蓄から投資へ」の流れを逆行させている。
◆笛を吹いて踊ってもらうためにはお互いの信頼とコミュニケーションが重要だ。当事者間にそれがないからこういう事態になっているのだろう。根本的なことは、踊り手が本当に踊りたいのか否か、ということである。「貯蓄から投資へ」の流れを促すには、本当に投資したい魅力のある投資対象の存在がまずあっての話であろう。
◆宝塚歌劇団に入るには宝塚音楽学校に入学しなければならないが、「東の東大、西の宝塚」と言われるほどの狭き門である。入学希望者はダンススクールやボイストレーニングなど予備校の類に通って試験に備える。先日も宝塚を目指す少女たちの奮闘をテレビで特集していた。しかし、そこは夢と希望に向かってがんばる世界、悲壮な感じはない、はずなのだが...。番組のレポーターがある女の子のお母さんに「大変ですね」と訊くと、その母親は「いーえ、ぜんぜん。うちの子は唄ったり踊ったりするのが大好きなんです!」 レポーターが女の子に尋ねた。「将来の夢はなあに?」「パティシエです」「...」
◆お母さん、叱ってはだめです。彼女は宝塚音楽学校に入る資質がある。宝塚のモットーは「清く、正しく、美しく」ですから。日本の上場企業の中には「清く、正しく」すら覚束ないものが少なくない。投資対象としての魅力うんぬん以前の話である。
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆