<要約>
8月11日、中国は人民元基準相場の設定方法の変更を通じて、事実上の切り下げを行った。タイミングや方法がサプライズで、発表後に輸出競合国や対中輸出国であるアジア通貨や、コモディティ安を通じてコモディティ通貨がつれ安となった。13日、人民銀は更なる大幅安はないとの見通しを示したが、元実効相場が長期的高水準に留まる中で、今後も景気次第で更に元安が進むリスクは残り、豪ドルやアジア通貨の続落リスクとなる。こうした動きは実効ベースでの円高化を招くことから、本邦政府・日銀の対ドルでの円安容認余地を拡大することになる。但し元安はドル高を通じて米利上げを遅らせる面もあり、ドル/円は元安圧力と米利回り低下の両にらみの展開となりそうだ。
来るべき元切下げ、但しタイミングと方式がサプライズ
8月11日、中国人民銀行は日々の基準相場決定時(東京時間午前10:15分頃)に、基準相場を前日より1.9%ドル高元安水準に設定することを通じて、事実上の通貨切り下げを行った。国務院が既に7月24日に貿易後押しのため人民元の日中許容変動幅を(現在の±2%から)拡大するとの声明を発表していたことから、市場では今後数ヶ月内に変動幅拡大を通じて人民元安誘導を行うとの期待はあったが、基準相場を通じた元安はタイミング面でもサプライズとなった(図表1)。
元切下げを受けて、主にアジアの中国との輸出競合国や対中輸出依存国の通貨(マレーシアリンギット、台湾ドル、インドネシアルピアなど)が売られているほか(図表2)、こうした措置が逆に中国の実体経済の弱さに関する懸念を高め、銅や原油などコモディティ価格の下落を通じてコモディティ通貨(ロシアルーブル、豪ドル、NZドル、チリペソ、ブラジルレアル、南アランド、メキシコペソ、カナダドルなど)にも下落圧力となった。円も対ドルで一時小幅下落し、黒田シーリングとされる125円台に乗せた。
背景:SDR組入れ、人民元高、景気減速
人民元を巡ってはこれまで、今年末までのIMFによるSDR構成通貨見直しに向けて、構成通貨の一つに組み入れられるよう、中国当局が一段と人民元為替市場の自由化を進め、それまでは人民元相場の安定を維持する、というのがコンセンサスとなっていた。SDR組入れの中国経済や人民元相場水準への直接的影響はないが、国際社会における実力に応じたプレゼンス確保が主眼とみられる。
もっとも、2013年以降、米利上げ期待の高まりの中で、他のアジア通貨や円が大きく下落し人民元が貿易加重平均(実効)ベースで歴史的高水準へ大きく上昇してきた一方で、中国の成長率は政府目標である7%を下回るリスクが高まっている(図表3、4)。こうした中、これまでの利下げや預金準備率引下げを通じた金融緩和や財政支出前倒しなどの措置では十分ではないとの認識が高まりつつあった。
なお、今回の措置は基準相場決定を市場取引実体をより反映する方式に変更することが主眼となっており、人民元改革の一環でSDR組み入れに向けた姿勢と整合的という側面もある。8日発表の中国7月貿易統計で輸出が大幅マイナス(前年比-8.9%)となった後というタイミングが選ばれたのも、市場の見通しに反した元安誘導ではなく、むしろ市場における元安期待の高まりを反映したものである点を強調しようとしたためとみられる。中国政府は人民元のSDR組入れの野望をあきらめたわけではなく、IMFも12日、今回の基準値算出方法の変更を歓迎する一方、SDR構成通貨への組入れ検討に直接は影響しないとしている。なお、今回は日中の±2%の許容変動幅は維持された。
今後の人民元と他通貨への影響:元安継続リスク、つれ安の連鎖
人民元基準値は11日にはじまり3日連続で下落、10日対比では4.4%の下落となった。13日、人民銀は記者会見を行い、これまでの元下落により約3%の蓄積された下落圧力が解消された、10%切下げ説は根拠がない、輸出促進を目的とした元の調整は必要ない、と述べ、市場の元安懸念は一旦後退した。もっとも、人民元が実効ベースで高水準にある中で、今後の景気減速度合いによっては対ドルで下落が続く可能性が高い。今回の措置によって基準値がより市場実勢を反映して決定されることになったため、景気減速を受けた元安期待の高まりに反応して元が下落し易くなる面もある。
人民元安の他通貨への影響チャネルは以下のように整理できる。
①中国との輸出競合国通貨の「競争的」下落 :アジア通貨全般。元切下げによって輸出減・貿易収支悪化の悪影響を受けるため、通貨に下落圧力がかかるほか、これらの国の当局が自国通貨を弱めようとする(「競争的通貨切下げ」的な状況)。12日にかけてはシンガポールドルや韓国ウォンなどの下落が相対的に大きかったが、13日にかけては次第にマレーシアリンギットやインドネシアルピアなど、より中国との競合度が高い通貨の下落率が相対的に大きくなっている(図表2)。なお、ヴェトナムは12日、対ドルでクローリングペッグ制となっている通貨ドンの日中許容変動幅を±1%から±2%へ拡大、13日までで1%程度下落している。
② 対中輸出依存度が高い国の通貨安:特にアジア通貨、コモディティ輸出国通貨。今回の元切下げが中国の実体経済が想定以上に悪い、との見方につながり、銅や原油などコモディティ価格が下落、主要通貨では豪ドルやNZドルに下落圧力がかかった。
ドル/円への影響:円安容認VS米利上げ期待後退
ドル/円相場への影響としては以下のチャネルが考えられる。
① 本邦政府・日銀の対ドルでの円安許容度の拡大:6月10日に黒田日銀総裁が実質実効ベースでの更なる円安は考えにくいと述べて以降、125円前後が「黒田シーリング」として意識されてきた。今回の元安とそれに伴うアジア通貨つれ安により、対ドルで円も同程度に安くならない場合には実効ベースで円が上昇することになる。なお、円実効相場において中国の構成比率は29.5%と最大で、他のアジア諸国を含めると50%超となる(図表5)。実効ベースで更なる大幅円安を追求しない姿勢に変化はないとしても、円高圧力を減じるために本邦が対ドルでの円安化を容認する可能性は高まっている。このため、「黒田シーリング」は次第に重要性が低下し、125円を上抜けし易くなったといえよう。
② 米ドル実効相場上昇に伴う米利上げ期待の後退:米国からみると、人民元、アジア通貨、円などが揃って下落すると、実効ベースでのドル高を意味する。特に、人民元はドル実効レートにおける構成比率が21.3%と最大、その他アジア諸国も合わせると40%弱となり、元安のインパクトは大きい(図表6)。更に、中国景気減速懸念の高まりを受けた原油安を受けて、構成比率として3位、4位であるカナダドル、メキシコペソの下落も大きくなっていることから、全体としてドル実効相場への上昇圧力が大きくなっている。ドル高は米国の貿易収支悪化と成長率低下に繋がるだけでなく、輸入物価低下を通じてインフレ上昇が更に鈍くなるリスクを高めている。こうした中、Fedが利上げを先送りするリスクが高まっており、それを既に反映して米中長期債利回りは大きく低下、ドル/円との乖離が生じてきている。
切下げ当初は、①本邦当局の円安容認余地の拡大期待を通じたドル高円安圧力が優勢で125円台へ上昇したが、12日以降、②米利上げ期待の後退を受けた米利回りの低下からくるドル安圧力が強まっており、一進一退の状況となっている。
今後も元安が進んでもFed高官から利上げ姿勢に影響ないとの認識が示されれば、①の要素が大きくなり126円超を目指す展開となる。他方、Fedが利上げ慎重姿勢に転じるようだと、米利回りへの低下圧力を通じてドル/円は、金利差縮小と共に軟調になりそうだ。
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