ストラテジーレポート

チーフ・ストラテジスト 広木 隆が、実践的な株式投資戦略をご提供します。

広木 隆が投資戦略の考え方となる礎を執筆しているコラム広木隆の「新潮流」はこちらでお読みいただけます。

広木 隆 プロフィール Twitter(@TakashiHiroki)

中国人民元切り下げ - いつも通りの過剰反応

ストラテジストとは楽な商売である。過去、何度も書いてきたことを繰り返していれば、それで仕事になるからだ。それは、とりもなおさず、マーケットというものが毎回同じことの繰り返しであるという事実にほかならない。

株式価値はファンダメンタルズで決まるが、そのトレンドの周りを市場でプライシングされる株価が揺れ動く。株価を揺り動かすのはセンチメント(投資家心理)である。センチメントは楽観と悲観の間を揺れ動き、それによって株価がファンダメンタルズから乖離する。それが、多くの場合、魅力的な投資機会をもたらすことは過去何度も述べてきた。今年に入ってからだけでも、原油安、ギリシャ不安、上海株急落、と市場のオーバーシュートを指摘してきた。毎回必ず読者に問うたのは、株価急落を招いたそれらのリスク・イベントが、投資家心理の悪化だけでなく、日本株のファンダメンタルズにまで影響を及ぼすものか考えてほしい、ということであった。

原油安は日本株のファンダメンタルズにとって良いことか悪いことか。ギリシャの債務問題が日本株のファンダメンタルズにどのような影響があるのか。上海株の急落はどうか。すべて、リスクオフ(リスク回避)を招く要因には違いないが、日本経済や日本企業の業績に与える影響は、原油安はプラスであり、後のふたつはほぼ皆無であった。

今回、問題となっている人民元の切り下げについても、同じ問いを発しよう。投資家心理の悪化だけでなく、日本株のファンダメンタルズにまで影響を及ぼすものか考えてほしい。

世界第二位の経済規模を持つ国の為替レートの変更である。無論、経済的な影響は甚大であり、小国ギリシャの債務問題などとは比較にならない。日本経済や日本企業の業績に直接関連する。しかし、そのインパクトは果たしてどれだけのものだろう。

中国の人民元切り下げが、どうして日本株の売り材料となるのか、その理由を見てみよう。

まず指摘されたのは、「通貨の事実上の切り下げに踏み切らざるを得ないほど中国景気の現状が悪いとの見方も投資家心理の悪化につながった」という説。しかし、それならば、単なるサプライズであり、一時的なものである。しかも、いまさら「中国景気の実態が悪い」ということがサプライズになるだろうか。そんなことは周知の事実であり、かねてから世界経済の懸念材料であり続けてきた。事実、上海株が急落し中国政府が露骨な株価維持政策を講じた際にも、実体経済を支える景気対策が必要との声が多かった。まさに市場参加者が望み期待した景気対策が実行に移されたわけで、その意味では人民元切り下げは好材料にこそなれ、悪材料ではないのではないか。

次に考えられるのが、日本企業の輸出競争力の低下という懸念。しかし、中国の輸出産業と日本のそれは直接的な競合関係にない。これがドイツなら話は別である。ユーロ安になればBMWやフォルクスワーゲン、シーメンスのような企業に有利になる。日本の自動車メーカー、機械メーカーは苦戦することになるだろう。しかし、中国が輸出しているのは相変わらず衣料品などの労働集約的な加工品や機械、携帯電話などの通信機器である。中国の自動車の輸出も増加しているが、輸出先は中東やアジアの新興国で日本のメーカーとはバッティングしていない(たとえバッティングしたところで勝負にならないだろう)。

いちばん考えられるのが、人民元安による中国の購買力の低下である。これによって日本からの対中輸出は鈍化するだろう。前回のレポートでも述べた通り、「爆買い」を起こしているインバウンド消費も「輸出」の一種であり、外需である。この部分には影響があるだろう。しかし、米ドルにペッグしている人民元は過去2年半あまりの間、対円で大幅に高くなった。1人民元12円台前半だったレートは20円を超え、8円も対円で元高が進んだのである。ここから仮に1~2円(5~10%)元安となったところで、たかが知れているのではないか。

人民元切り下げが直接、日本経済に与える影響としてはそれほど大きなものではない。問題は、すでに新興国に波及している点である。インドネシアをはじめ東南アジア諸国の株・通貨が動揺し、97年のアジア通貨危機再燃という不安まで台頭している。タイ、マレーシアなどでは外貨準備が減少している点も気がかりだが、当時と違って経常赤字が過度な外資流入でファイナンスされているわけではないので、97年のような危機には至らないと考える。そもそも危機のきっかけを作ったのは、当時のアジア通貨がドルにペッグしていたからであり、その矛盾をヘッジファンドに売り崩されたからである。フロート制に移行している現在は、通貨が売られて安くなればそれなりのメリット(輸出競争力改善や直接投資の加速期待)も生じるため一方的なフリーフォールは起こらないだろう。

さて、最後の波及経路を考えよう。人民元の下落基調が定着すれば、ドル独歩高の構図は鮮明になる。それがFRBに利上げを思いとどまらせる可能性はあるだろう。米国の利上げ先送り→ドル安・円高と為替に作用し日本株の悪材料になる懸念だ。

しかし、その場合は日銀による追加緩和期待が高まるだろう。人民元安に加えてアジア通貨安で(すなわち構成通貨の下落によって)実効レートでみた円は高くなり、したがって将来の下げ余地が生じている。そこにドル安まで加われば、「円の独歩高」となる。その状況では輸入物価を通じたデフレ圧力がなおさら強まり、日銀が目標とするインフレ率の達成が一層困難となる。また、そのような円高を招くような事態になれば、「インフレ率」そのものの上昇よりも日銀が先行して重視する「インフレ期待」が一段と低下するだろう。昨年に続いて10月の「ハロウィン緩和」第二弾の蓋然性が増すことになるだろう。

そう考えれば、中国の人民元引き下げは、波乱含みの要素を残しつつも、最終的には日銀の追加緩和というセーフネットを引き出すことになり、底割れにはつながらないと考える。

但し - 言わずもがなかもしれないが - これが、新たな世界的な金融緩和競争再燃の引き金を引くことになる可能性が極めて高く、それはすでに萌芽しつつある将来的なバブルの規模を膨らませることにつながるだろう。

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