チーフ・ストラテジスト 広木 隆が、実践的な株式投資戦略をご提供します。
広木 隆が投資戦略の考え方となる礎を執筆しているコラム広木隆の「新潮流」はこちらでお読みいただけます。
広木 隆 プロフィール Twitter(@TakashiHiroki)
日本株の上昇要因 マイナス金利が促す資本構成の変化
要旨
・ 金利はマイナス、PBRは約1倍。このような状況では負債比率を高め、自社株を買い戻すのが企業の財務戦略として非常に合理的な判断であろう。
・ マイナス金利が導入されたことで負債のコストは一段と低下。一方、株主還元強化の流れもあって業績悪化でも減配する企業は少なく株式の資本コストは高止まりする。企業財務の観点からは負債比率の引き上げ、自己資本比率低下のインセンティブが働こう。
・ 総資本コストの低下は企業価値を増大させる。これが理論的側面からの株価上昇理由である。もっと直観的にわかりやすい話は自社株買いが増加するということだ。本決算の発表から株主総会までの4-6月期には相当の企業が例年にも増して自社株買いを発表するだろう。それは日本株の上昇要因になると考える。
得する負債
日銀のマイナス金利については、その副作用や効果を疑問視する声などネガティブな意見ばかりが目立つが、マイナス金利が真価を発揮するのはこれからである。よく指摘されるのは、預金が金利をとられて目減りしたり、反対に借入が金利をもらって得をするような極端なことにはならない、というものだが、借入金利もマイナスになるケースが実際に出てきた。
13日付の日経新聞によると、REIT(不動産投資信託)のGLP投資法人は金利スワップ契約を活用して、53億円分の借入金の金利が実質マイナスになるという。以下は日経の記事の引用である。
「GLP投資法人はこれまで銀行3行から1カ月ごとに金利が変わる変動金利で53億円を借り入れていた。この借入金に対して野村証券との間で15日から実施される金利スワップ契約を結んだ。金利スワップは変動金利と固定金利を交換する取引で、GLPは野村に固定金利を支払う一方、変動金利を受け取るようにした。元本のやりとりはないが、固定金利で資金を借り入れたのと同じ効果がある。取引の結果、実質的に0.009%の金利をもらえる計算になるという。」
これは実にすごいことである。負債というものの概念が根底から覆る。借金をすると得になる。負債というものの価値が格段に上昇する。こうしたことが可能になるのは、いまはまだ一部の企業金融の世界に限られるが、これをもっと推し進めることができれば、日本経済が長く陥ってきた停滞を抜け出すきっかけになるかもしれない。これまで刷り込まれてきた「借金は悪だ」という考えを180度覆すことができれば、大きなブレークスルーになる。
バランスシート不況
日本の80年代バブルの後遺症を「バランスシート不況」だとする見方がある。バブルのときは、こぞって借金して株や不動産を買ったがバブルが弾けて資産価格が大幅減少。負債は減らないから、結果的にバランスシートが限界まで毀損した。日本が長く不況にあえいできたのは、そのバランシート調整の過程にあったからとする説だ。その時負った傷があまりにも大きかったために、「借金をして投資すること」が企業も家計もトラウマになった。だから、金利がゼロでも誰もおカネを借りようとしない。まさに資金需要が弱い理由のひとつであり、同時にまたいくら金融緩和をしても効かない理由である。
事実、家計や企業の預貯金は増え続けている。1月25日付けの日経新聞は、長引く超低金利にもかかわらず、銀行の預金残高が増え続けていることを報じている。記事は、<年間10兆円増のペースで過去最高を更新しており、2015年11月末時点で677兆円に達した。預金者の内訳を調べると、高齢化や長寿化で「投資から貯蓄へ」という逆流現象が起きている>と伝えている。
企業が内部留保を貯めこみ、その結果、手元キャッシュが100兆円にまで膨らんでいることは、多くの報道の通りだ。僕は別に日経新聞の回し者ではないが、最近の日経はその手の報道が多く、どうしても触れないわけにはいかない。先週から始まったゼミナール(「経済教室」の下のコーナー)はずばり「内部留保の解剖」である。第2回目の金曜日は、企業が借入に頼らなくなった背景を解説している。
<1990年ごろまで、企業の資金調達は金融機関からの借り入れが中心だった。内部留保が顕著に増え始めたのは90年代後半からだ。90年前後に不動産や株式など資産価格のバブルが崩壊し、企業は債務・設備・雇用という"3つの過剰"を抱えた。経営の最優先課題は過剰の解消となった。金融機関も大量の不良債権を抱えて貸出余力が低下し、貸し渋りや貸しはがしが社会問題化した。(中略)
その後も07~08年の世界金融危機や11年の東日本大震災で金融システムが不安定になり、企業の資金繰りに影響した。こうした経験から、企業は自分で稼いだ利益を事業活動の原資とする傾向を強めている。自己資本比率は14年度、39%になった。>
企業の資本構成が変わる可能性
僕は自己資本比率の上昇がそろそろピークアウトするのではないかと思う。冒頭に述べたように負債の価値が高まるからだ。まっとうな財務担当者であれば、こういう状況では負債の活用を真剣に検討するだろう。事実、早くもそういう動きが出てきた。JR西日本は民間企業として初めて、期間が40年の普通社債を発行する。味の素も期間20年の社債発行を計画している。<日銀がマイナス金利政策の導入を決めてから市場金利が大きく低下しており、安いコストで長期の資金を確保する><低金利の環境を生かし成長投資に必要な長期資金を調達する動きが広がり始めた>と日経新聞は解説している。本当に僕は日経の回し者ではないが、他にも記事を拾ってみよう。
20日:社債発行を再開 マイナス金利後初 大和証券など5社 利回り軒並み最低
21日:不動産融資、26年ぶり最高 昨年10.6兆円、緩和マネー動く マイナス金利が拍車も
これまで日銀が「量」を中心にした緩和策を行ってきた背景は、金利に働きかけることの限界があったからだ。金利がゼロ近傍まで低下して更に金利を下げる余地がなかったということ以上に、金利をゼロにしても資金需要が高まらなかったことのほうが金融緩和の限界を示していた。
だったら「量」を強引に増やそうとしたわけだが、その試みは成功しなかった。だが狙いは悪くなかった。つまり、どっちにしろ「壮大な経済実験」である以上、やってみなければわからない、という割り切りである。卵が先か鶏が先か、ということだ。つまり、資金需要がないからマネーが増えないのなら、強引にマネーを増やせば需要はあとからついてくるのではないか、ということを試そうとしたのである。
誤算は - いや黒田総裁はじめ日銀の方々は専門家なので、じゅうぶんわかっておられたと思うが - マネタリーベースを増やしても、それが市中に流れるマネー(ストック)の増加に直結しないという点である。銀行が信用創造を行わなければマネーは増えない。
だから今まさに信用創造をさせるべく、マイナス金利を導入して「銀行のキャッシュの置き場(=逃げ道)」を塞ぎにいったのである。ところがここでまた例の堂々巡りにぶつかる。銀行が貸さないのではなく、企業も家計も借りようとしない。資金需要が弱いから金利を下げても借り入れは増えないという議論だ。
しかし本当にそうか。実際に社債で(すなわち借金で)資金を調達する動きが出始めたではないか。前例のJR西の資金用途は安全投資、味の素はM&Aなど成長投資に充てるという。なにも今になって出てきた「資金需要の理由」ではない。そのようなニーズは従来からあった。超低金利での資金調達環境が改めて企業に従来からあったニーズを意識させた、思い起こさせたという面があるだろう。まさに卵と鶏の議論ではないか。
債務による資金調達が広がる一方、株式での調達は資本コストの面から割高感が増す。17日の日経新聞は1面で、<配当、3年連続で最高 上場企業の15年度 株主還元を重視、初の10兆円突破 >と報じた。念のために言っておくと、僕は日経新聞の回し者ではない。
以下はその記事の引用である。
<上場企業が株主への配当を増やしている。2015年度の配当総額は約10兆8000億円と初めて10兆円を超え、3年連続で過去最高を更新する見通しだ。なかでも業績見通しを下方修正した企業の約9割が従来計画通りの配当を維持する見込みで、株主還元を重視する流れが一段と鮮明だ。>
スチュワードシップ・コードやコーポレートガバナンス強化の流れで、企業も株主還元を一層重視している。業績が悪化しても減配などそう簡単にできない。三井物産のCFOは日経新聞のインタビューで業績悪化で減配の懸念はないかとの問いにこう答えている。
<減損は資金流出が生じないため、株主還元の原資となるキャッシュの問題はない。(中略)中計で最低30%とした配当性向は、業績下方修正の結果、今期は6割に達する。それでもキャッシュフローの枠組みが崩れない限りは、配当性向に機械的にこだわらず継続性を重視して配当に回していく>
負債のコストは劇的に低い。一方、株式の資本コストは高止まりする。普通に考えれば、割高な資本である株式を買い戻すという判断が働く。ましてや今や、PBRは1倍そこそこである。簿価で買い戻せるチャンスだ。
スチュワードシップ・コードやコーポレートガバナンス強化の流れで言えば、企業の経営者はかなりROEへの意識が高まっているだろう。すでに昨年の定時株主総会にかけた経営トップの取締役選任議案では、ROEの低い企業の賛成率が下がる事例が目立った。議決権行使助言会社、インスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)は、過去5年間の平均値と、直近の実績がともに5%を下回る企業に対しては、トップの取締役の選任案に原則として反対することを推奨している。こうしたことを受けて機関投資家も議決権行使の基準を明確にする傾向が鮮明となっている。簡単に言えば、ROEを上げないと経営者のクビが飛ぶという危機意識はじわりと高まっているはずだ。
こうしたなか、円安・原油安効果の剥落もあって来期の業績拡大に赤信号がともっている。トップライン(売り上げ)はもう伸びなくなっている。ボトムライン(利益)も減益になるかもしれない。利益が伸びない環境でもROEを高めることができる。自社株買いで分母を削るのだ。借り入れを増やして財務レバレッジをかけるのも一つの手だ。但し、本業の利益率改善の努力なしにそうした小手先の財務テクニックでROEを上げても市場の評価は得られないかもしれない。しかし、現在の環境に鑑みれば正当化されるだろう。金利はマイナスで株価はPBR1倍そこそこ。この環境では負債を増やして自社株買いで自己資本を削ることの正当性が得られるだろう。
当面はG20、全人代、ECB理事会、日銀決定会合、FOMCと世界の重要なイベントに振り回される展開が続こう。しかし、3月の権利付き最終日を前に配当取りの動きなどで相場はしまってくると思う。そして新年度になれば自社株買いの動きが加速し、たとえ外国人が売ってきてもじゅうぶん吸収できる買いの主体となるだろう。日本もやがて、米国のように社債を発行して自社株買いをするような企業が現れるのではないか。マイナス金利というのはそういう可能性を存分に秘めた政策である。この政策の威力を市場はまだじゅうぶんに評価できていない。個人的な意見だが - 僕のレポートはすべて僕の個人的な見解だから改めて断るまでもないけど - そのことを肌感覚でわかっているのは、おそらくソフトバンクだと思う。
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