幸せは相対的
幸せは相対的な概念だと、先日しみじみ思いました。
午後8時半頃に京都駅から新幹線に乗ったのです。夕飯後ではなく、新幹線の中でお弁当を食べようと考えて。京都駅に行く前に、8時直前にデパ地下に寄ったのですが、お弁当の類いは全て売り切れ。ましかし、駅に行けばまだまだお弁当は売っているだろうと考えて駅まで行くと、改札の外の売店ではお弁当は全て売り切れ。いやいや新幹線改札の内側では流石に売っているだろう、と中に入るも、ここでもお弁当は全て売り切れ。ガーン。
KIOSKに、かろうじてサンドイッチだけ売っていました。ホームに行けばまだお弁当あるだろう、と思いつつも、リスクヘッジのためにサンドイッチを買ってからホームに上がりました。そしてホームの上の単立的な売店やお弁当コーナー、KIOSKを4カ所回るも、全滅。なーんにも売ってないのです。お茶だけ買って、入線してきたのぞみ号に乗りました。席に座るとすぐさまにサンドイッチを食べました。うーむ。ショボい。
もう寝るしかない、と思っていると、数分後にワゴン販売が来ました。おぉ!ほんの数メートル進んでくるのが、あれだけ長い時間に思われたことはありませんでした。果たしてワゴンが来て、「お弁当はありますか?」と聞くと、3種類につきそれぞれ一つずつだけあるとのこと。うぉーー!で、お弁当をひとつ食べたのでした。ワゴン販売の小さめなお弁当。あぁーーー、美味しかった。お弁当って、本当に美味しい。幸せだぁ-!と心の底から思ったのでした。
幸せは相対的な概念なのだと、痛感しました。今の我々を取り巻く環境も、何を基準に見るかで、全く見え方が変わって来ます。パースペクティブ(遠近感)を正しく持とうと思います。
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