津田昌太朗
2022.10.28

目先の利益ではなく、
新しい循環が生まれる消費や
投資を選択してきた津田昌太朗/フェスジャーナリスト

貯金があったから勝負に出られた

モノよりもリアルな感動体験の価値が高まり、すっかり日本でも定着した音楽フェス。17歳でフェスを初体験し、その沼にハマりいまやフェスジャーナリストとして活動する津田昌太朗さん。これまで訪れた音楽フェスは海外100カ所、国内300カ所以上にも及ぶ。

津田さんのフェス愛のルーツは、生まれ育った姫路にある。年1回行われるお祭りのために生きている人が多いといっても過言ではない地域で、津田さんもその一人だった。10代前半まではお祭り中心の生活を送っていたが、10代後半で初めて行った音楽フェスである大阪で開催されたサマーソニックで、“音楽とお祭り”という大好きなものが掛け合わさった空間に出合ってしまったのだ。

「何だこれ⁉ってものすごく興奮しました。アメリカやイギリスはもちろん、それ以外の海外のアーティストを目の前で味わえて、知らないものを知れる。そんな場所にどこからともなく人が集まってくる。都会的な雰囲気なのに、どこか地元のお祭りにも似た感覚でした」

当時は大規模フェスが関東圏に多く、日本最大と謳われていたフジロックも関西から行くのが遠いということもあり、物理的に近づくために東京の大学を選び、チケット代や遠征費を稼ぐためにタワーレコードでバイトを始めた。やがて雑誌でフェスのレポート記事を書き始め、卒業後は、音楽業界を目指す。しかし、当時、CDが売れなくなっており、音楽業界は勢いを失っていた。「お金よりもやりがいがあればいい」と考えていたものの、先輩らのアドバイスもあって、広告業界に就職する。

入社した大手広告代理店では、携帯電話会社の音楽キャンペーンに携わることもできた。さまざまな場面で、「音楽フェスは、産業としてももっと大きくなる」と提案し続けたが、それはなかなか実現しなかった。そこで、自ら日本中のフェス情報を集めて発信するサイト「Festival Life」の運営に関わり、編集長に就任。やがて、ラジオ番組にも呼ばれるように。

「個人としても活動も、Festival Lifeというメディアの認知も上がってきて、働いていた広告代理店のメディア部門から問い合わせや企画の相談がきたりして、電話口で『実は同じ会社です。副業でやってます』みたいなことも起きたりして」

そんな二足の草鞋を続ける日々の中、取材と夏休みを兼ねて訪れた、イギリスで開催される世界最大級の音楽フェス「グラストンベリー・フェスティバル」が、大きな転機をもたらす。そこには、老若男女問わず三世代、好きな音楽ジャンルもさまざま、20万人もの多様な人々が集まっていた。

「あらゆる人を受け入れ、プラットフォームとして機能する音楽フェスの在り方に衝撃を受けて、その場で会社を辞めると決めました。いまだに、あれほどまでに衝撃を受けた、グラストンベリーという化け物の正体を解明したくて、あらゆるフェスに行き続けているところがあります」

帰国した翌日、辞表を提出。イギリスに拠点を移し、二年かけて、海外のフェスを巡った。もし、仕事を辞めた時、お金がなかったら、そうした思い切った行動を取れなかっただろうと振り返る。

「会社を辞めていろんな人から『フェスなんかで食っていけない』って言われたんです。でもいつかそういうタイミングが突然訪れる気がしていて、ちゃんと貯金していました。会社を辞める数年前から家賃が数万円安いアパートに引っ越したり、全国のフェス取材用に乗っていた車も処分したり。だから、いざというときに勝負できたっていうのはすごく大きいです」

目先の利益よりも
新しい発想に価値がある

イギリスから帰国した現在、平日は立ち上げた「Charlotte inc.」での仕事を行い、週末は必ずフェスへ。会社の事業内容は、「Festival Life」の運営や、海外の観光局と組んで、日本人を誘致するためのプロジェクト、多額のお金が動く協賛金のコーディネートなどさまざま。また、ワタナベエンターテインメントに所属して、メディアにも出演。サマーソニックをはじめとしたフェスでのステージMCや、海外フェスの主催者を招いたビジネスカンファレンスの司会進行など、活動は多岐にわたる。

「企業案件からMCまで仕事の内容をできるだけ分散させています。自分の業務範囲を絞らず、フェスから派生した案件なども、自分たちがやりたいと思ったことはやる。お金を稼げるポイントを複数作るというのは意識しています」

とは言え、津田さんにとって、仕事とフェスに行くことにボーダーはない。現地で得た知見や感じたことが、仕事に生きることも少なくないからだ。

「海外のZ世代の間でチェキがすごく流行っていて、アメリカのイベントでどんなふうに使われているのか、実際に見たことを富士フイルムさんに提案して仕事につながったこともありました。活動に費やす時間の7は自由に、残り3のところで利益を上げる。3の部分を10にしてしまうと、バランスが崩れそうな気がするんですよね」

仕事を共にする相手を選ぶ時には、フェスが好きかどうかを大事にしている。さらに、「稼ぎ過ぎないことを意識している」と話す。

「たとえば、フェスやその周辺の文化に全く理解のない人や企業から『ただ流行っているから』という理由で何かやりたいと相談を受けても、フェスと企業、お互いにとって良い関係を築くことはできない。自分が運営しているメディアと組みたい、買いたいと言われることもありますが、自分や自分の会社だけでなく、そのシーン全体の発展に寄与するかを指針にしています。『ここはお金を稼ぐところ』と、ドライに割り切るのは簡単なんですが、音楽やカルチャーが好きな人との関わりから生まれてくる新しい発想のほうが、僕にとってはるかに価値があるんです。効率はよくないし、短期的には儲からないんですけどね(笑)」

大好きな音楽やカルチャーで
お金を回していく

今、関心を寄せるのは、ローカルシーンだ。週末は必ず、日本各地のフェスに出掛ける。

「今、フェスが地域のハブになっていて、縦や横のつながりを掘るのが面白いですね。たとえば、兵庫県伊丹市のITAMI GREENJAMは二万人規模の動員があるのに、無料で開催していて、街の人が中心となってフェスが作られていたり、岐阜県各務原市のOUR FAVORITE THINGSや、茨城県結城市の結いのおとは、行政の中の人が主催していたりする地域発信のフェスで新しさを感じます。今年参加して面白かったのは、長野県飯田市の焼肉ロックフェス。地元の方がその名の通り、焼肉を焼いてくれるんです。最近は若い世代でフェスを主催する人やチームも増えてきていて、話を聞くと、フジロックには憧れるけど、そこまで大きくなくてよくて、小さなコミュニティとこの祭りのために、自分の時間を投資する感覚で作っている印象を受けます。これまでのフェスにはなかった人とのつながり方が生まれつつあって、まだ多くはないかもしれませんが、こういうフェスがあるからこの街に住みたい、残りたいというような移住者や定住者も生まれてくる気がします」

個人的なお金の使い方にしても、フェスやカルチャー、そして、ローカルのためにという想いが強い。

「サラリーマン時代は、すごくいい経験をさせてもらい、お金もいっぱい使っていましたが、あのお金はいったいどこに行き、誰が得をしたんだろうというのが見えなくて。今は、フェスを中心にかかわるカルチャーにお金を預け、回している感覚。僕が払ったチケット代が、このステージの一部になっているかもとか、出店している地元のお店でご飯を買えば、少しは地域の役に立っている。けっして直接そうではないんだけども、自分が好きなものをお金で回していると思えれば、その使い方に意味が感じられますよね。結果的に、預けたお金が自分に還ってことなくても全然よくて。フェスを担う次の世代につながっていけば、僕は嬉しいんです」

津田昌太朗
津田昌太朗

1986年兵庫県生まれ。慶應義塾大学卒業後、博報堂に入社。「グラストンベリー」がきっかけで会社を辞めイギリスに移住し、海外フェスを横断する「Festival Junkie」プロジェクトをスタート。現在は、音楽フェス情報サイト「Festival Life」の編集長を務めながら、2019年には、これまで参加した海外フェスをまとめた『THE WORLD FESTIVAL GUIDE』(いろは出版)を出版。雑誌連載やラジオ番組のパーソナリティ、サマーソニックをはじめとしたフェスのステージMCなど、フェスカルチャーをさまざまな角度から発信し続けている。

@festival__junkie

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