今の自分にはお金の仕組みを
勉強する時間が必要だと思う工藤桃子/建築家
お金を稼げても、
合わない環境で働くことは幸せではない
帝国ホテル 東京の食物販「ガルガンチュワ」や、表参道にあるスキンケアブランドのフラッグシップショップ「SKINCARE LOUNGE BY ORBIS」などを手掛けた一級建築士の工藤桃子さん。建築士だが、大学進学時は多摩美術大学を選んだ。
「中高生時代、物理学が好きだったで理系の大学に行こうと思っていたのですが、物理学者になる人って、天才なんです。とてもじゃないけど、私の実力では無理だと挫折しました。それで、数字とはむしろ対照的な感情や感性に関わろう、と進路を変えて、美大に進みました。多摩美にしたのは、就職に強い美大だったから。卒業後は『自立して稼がなければ』という考えがずっと頭にありました」
真面目に建築を学んだのは、就職した会社を辞めて大学院に進んでからだった。
「大学卒業後は300人規模でお給料もちゃんとしている会社に入ったのですが、どうしても会社員としての未来が描けなくて……。その時点で一級建築士の学科試験は受かっていたので、一度学問の世界に戻ろうと。それで建築をもう一度学ぶために大学院に行きました」
著名な建築家・藤森照信氏の研究室で学んだ後、ふたたび就活に。その頃には、最初の就活で思っていた『稼がねば』という気持ちは消えていたそう。
「20代前半は、社会に出たらお金がなければ死んでしまうのではという怖さがあったのですが、いざ出てみると、意外と社会って優しいなって思えるようになっていました。一度、社会に出て働いていたことで、私にとってお金はそこまで重要ではなく、無ければ無いでどうにかなることに気付きました。同時に、多くのお金をもらえても、そこが自分に合わない環境だったら幸せじゃないことにも気づきました。貯金が尽きるまでは、やりたいことをやっていこうと心に決めて、大きな会社ではなく、小さな事務所を運用する方を選びました」
50代までに蓄積した経験とスキルが、
その先に活きる
‘16年にMMA Inc.を設立。住宅などの建築設計から店舗などの内装設計、美術館の会場構成など幅広い分野からオファーが舞い込む。建築一本に絞らないのは、彼女なりの信条に基づく、キャリア設計があるからだ。
「昔から思っていたのは、会社は、大きい歯車と小さい歯車の両方がないと絶対に回らないということ。スケルトンの状態から空間を作っていく内装設計は、小さい歯車ですが、実は期間が短い稼ぎ頭で、さまざまなトライアルもできます。そこで試し、蓄積したスキルを建築という大きな歯車に上手く移行できれば、設計事務所は長く持つのではないかと。50代になれば、きっと今ほど世の中の動きをキャッチできなくなって、内装設計の仕事は薄くなっていくかもしれません。一方、建築は40、50代までの知識の貯蓄が、60代以降にものをいいます。なので、若いうちにできるだけ小さな歯車を回し、のちのち、大きい歯車をゆっくり回していけたらと考えています。思えば独立した当初から、そんなことばかり言ってましたね。理屈っぽいのですが(笑)」
好きな世界だからこそ、建築業界への問題意識と業界をよりよく変えていきたい気持ちも強い。クライアントにとって必要ないと思ったら、案件を断ることもある。
「少し前まで、建築家はあくまで建築だけで食べていくもので、内装設計に手を出すことはカッコ悪い、恥ずかしいという風潮がありました。〝建築一本でやっていくことが美しい″という価値観が、この業界の単価を下げることになり、スタッフは疲弊してしまう。これでは、どんどん若い担い手がいなくなってしまいます。大きく儲けたいという意味ではなく、健全でありたいからこそ、幅広い分野で稼ぎます。
現代では作らない選択肢も必要だと思っています。環境面からいえば、スクラップ&ビルドはやめないと。クライアントさんには物を作る時に何が本当に必要なのか一緒に考えましょうと提案しています。投資面から見ると、大きな金額を空間に投資することが大変な場合があったりします。だったら、まずはメディアを作って、上がった利益をデザインに投資しては、とソフトなランディングを提案することもあります」
お金の仕組みを勉強する
時間がないことが悔しい
現在進行形のプロジェクトに、ジャーナル「MMA fragments」がある。さまざまな職人や工房とのコラボレーションによってMMAが生み出してきた、新たな建築素材にまつわるストーリーをビジュアル化した印刷メディアだ。
「設計のプロセスが見えにくいためか、設計で扱う素材というものが簡単にできていると思っている人がすごく多くて。例えばタイル一枚を作るのにどれだけの人が関わり、年月がかかっているのか、裏側をきちんと可視化していかないと、我々の単価も上がらないし、業界もよくならないと思って始めました。始める頃にエジプト展で、パピルスで作られた何千年も前の紙を見て、紙に印刷することにしましたけど、お金がかかりますね(笑)。売り切ったらトントンというところを目指して、続けています」
独立して、ワクワクできる仕事をできている満足感はあるが、それでも、まだまだ自分自身が勉強したいこともあるという。
「こちらの提案にチャレンジしたいと言ってくれるクライアントさんと、まだ見ぬ未来に向かって一緒に走るのはすごく面白い。でも私には〝お金は難しい″という固定観念があって、お金を回す投資や運用が分かっていません。チャンスを増やすために、お金を上手く回すことには興味があります。きちんとお金の仕組みを勉強する必要があるなと思っています。」
工藤桃子
東京生まれ、スイス育ち。一級建築士、MMA Inc 代表取締役。多摩美術大学環境デザイン学科卒、松田平田設計勤務のち工学院大学藤森照信研究室修士課程修了。2016年、MMA Inc.を設立。建築設計のほか、ショップやレストランなどのインテリアデザイン、展覧会の会場構成も手がけている。2020-2022年多摩美術大学非常勤講師。
Instagram @momoko__kudo